イタリア旅行 その5

ローマ市内にあるサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂には、ミケランジェロのモーセ像がある。・・・という事を、阿刀田高さんの『旧約聖書を知っていますか』で知った。しかも面白いエピソード付きで。 大抵の場合、これは山から降りた時のモーセの姿を作…

イタリア旅行 その4

もともと一人旅の予定だったのに、フィレンツェでは色んな人の出会いが待っていた。これだから旅はやめられない。だが心機一転、今度こそ本当に一人でローマに移動。 フィレンツェからどうやって列車に乗って行ったか全く記憶にない。でもローマに到着した時…

イタリア旅行 その3

詳しい時間はもちろん忘れたけど、目に飛び込んできた風景を黙って静止状態のまま一人かみしめながら、知らない間に時間は経っていたもよう。気がつけば空も明るくなってきて、同じコンパートメントの人たちが起き出した。 さぁ、初めてのイタリアの旅が始ま…

イタリア旅行 その2

ボンからミラノ行きの寝台列車に乗り込むなりJulianと出会った。 2段ベッドが両側に設置された4人部屋。今思えばちょっと怖いか?狭いベッドにカーテンゆらゆら1枚で仕切られるだけ。恐ろしくデカくていかつい男の人が相部屋になる可能性もフツーにあるんだ…

イタリア旅行 その1

ドイツに留学して一年目はドイツ国内をくまなく回った。西へ東へ南へ北へ。 ある程度、自分で決めていた。ドイツ語とドイツ文化を学びに来たのだから、まずはドイツを知る為に国内を回ろう。ドイツ以外のヨーロッパ諸国へ足を伸ばすのはその後だ。 1997年 夏…

カーニバル その3

カーニバルのピークは最終日「灰の水曜日(Aschenmittwoch)」即ち「断食期間(Fastnacht)」の初日でもあるが、この日に行われるケルンの町をあげてのパレード。 これがすごい。ドイツでも1位か2位をあらそう規模だとか。 これでもかって程、様々な仮装をした…

カーニバル その2

Weiberfastnacht(木曜日)というのは、敢えて訳せば「女のカーニバル」・・・ですか。この日は、どんな女性でも男性のネクタイをハサミでちょっきんカットし、頬にキスをしても良いという何とも欧米チックな習慣があるのです。女性無礼講の日なんです。駅で見…

カーニバル その1

今ではBerlin(ベルリン)にうつってしまったドイツの首都も、私の留学していた1995−1997の間はまだBonn(ボン)にあった。ボンはNordrhein Westfalenという州にあり、ユネスコ世界遺産に登録されているあの有名なゴシック教会・ケルン大聖堂が聳え立つKöln…

ドイツの大学に入学するという事

ドイツの大学には日本で一般的な「大学入試」なるものがない。 高校(ギムナジウム Gymnasium)の終了試験(アビトゥア Abitur)に合格すれば、それが同時に大学への入学資格として認められる。 これは海外からの留学生でも同じ扱いで、私がドイツの大学に入り…

人生で10分だけの出会い 後編

ある日1通の手紙が届いた。 差出人は今や名前も忘れてしまったあの時のアメリカン・ガイ。 本当に手紙くれたんだ。 外国にいると自分宛ての手紙は本当にずっしりとありがたい。 何の期待もしてない相手でも嬉しくて心がワクワクする。 ん?誰々?誰だ、この…

人生で10分だけの出会い 前編

ウクライナ人の友達と、Nürnbergのクリスマスマーケットを見に行こうと一泊計画で出かけた。この街のクリスマス市はドイツで最も有名で大規模なもの。飾り方もハンパじゃない。その様子は圧巻で、外国人にはもってこいだ。 週末だけ載り放題のWochenende Kar…

オランダまで夜のドライブ

学生寮は学生が住んでいる。 大学のシステム上、日本の大学生より専門意識が強く、常にレポートや試験に追われて勉強熱心だ。・・・されど学生。社会人とは違う時間が流れている点は変わらない。ある日の晩。共同キッチンにいたらLay(ライ)が入ってきた。 …

お掃除のバイト

ドイツにいる間結局最初から帰国するまで引っ越すことなくずーっとお世話になった学生寮は、キリスト教団体のサポートで提供された所で、学校が斡旋するリストに載っている寮だった。学生寮の中でも安い方だったが、部屋が狭くてキッチン・トイレが共同、っ…

Neinと伝えるコト

これは「ドイツ」に限ったことではなく、西側諸国(もしかしたら他の地域でも)全体に当てはまるだろうが、否定語即ち「Nein」を口にすることは何と容易い行為だろうか、とつくづく思う。 どうしてこんなに「Nein」と言い易いの?この違いはなんだ? どうし…

環境大国ドイツ

ありふれたテーマではあるが、「ドイツ生活」がこれに触れないでは済まされない。 遠く離れた日本にいても、「ドイツは環境問題の意識が高いのよね」と誰もが当然のごとく言う。実際はどうだろうか? 留学生として学生寮での生活が始まって最初に混乱したの…

主張ということ

大学の語学コースには、当然アジア人だけでなく欧州圏からの学生もたくさんいた。彼らとアジア人との間に存在する、どうやっても見過ごすことのできない最大の違いは、「主張」である。この一点において、韓国人や中国人留学生との親近感がぐっと高まる。 こ…

両親の訪問

寒い冬に両親が日本から来てくれた。 学生寮に住む多くの学生が時折帰省したり、親戚を訪ねたり、と家庭的なニオイをさりげなくこなす事が知らず知らずのうちに、自分を現実以上に孤独に思わせる。特に暗く長い冬にはメランコリックな気持が高ぶりやすい。クリ…

Advents (待降節)

Advents(アドヴェンツ=待降節)という言葉を知り、その言葉が2年半の間に随分身近なものになった。2年半の間にクリスマスは2回しか来ないはずだが、毎年約4週間あるAdventsの期間に、浴びるほどこの言葉を遭遇する。 近頃では、日本でも「アドヴェンツ・カ…

ヴィルヘルム2世

通っていた大学の語学コースでは、Mittelstufe(中級クラス)にいた。このコースはそもそも外国人の為の大学入試予備校みたいなものだ。よって中級クラスあたりになると、文法や基本的な事を再確認しつつ、ヒアリング・読解力に加えて、表現力というモノが要…

東のはるか彼方

ドイツに身を置いているという事は、当然すべての視点はドイツ発信になる。 世界地図を眺めてもセンターはドイツ@ヨーロッパ。 ニュースを聞いていても、天気予報を聞いてみてもドイツの話題からスタート。たとえ日本のニュースがあっても、遥か東の彼方で…

Tee(紅茶)

ドイツの夏は短い。悲しくなるほど短い。そして長く暗い冬は、凍てつく寒さが毎日続く。冬ほど「あぁ北国にいる」と実感したものだ。それでもボンのあるNordrhin-Westfalen州はライプチヒのような東独地区と較べれば寒さはまだマシな方で、雪の降る回数も名…

Fete(パーティ)

ドイツの若者の間で、あちこち頻繁に開かれるパーティは何故か「Fete」と呼ばれる。パーティと英語で言っても当然通じるが、「Fete」が一般的。微妙なニュアンス差があるのだろうか、と思うがはっきり分からない。 あらたまって考えてみると、パーティの方が…

老夫婦と若者の諸事情

月並みな感想かもしれないが、2年半の滞欧生活において、最後までプラスのイメージとして残ったものに、あちらの老夫婦の姿というのがある。 一度でもヨーロッパを旅行した事があれば(日本人なら)必ず目に留まるだろう。小さくてまんまるなお婆さんと足取…

Markt

ドイツでは、ほとんどの町にMarktplatz(マルクト広場)なるものがある。市庁舎や教会、劇場、本屋などが広場に面している事が多く、町の大小こそあれ、通常どこの町でも中心部に位置する広場だ。Markt(英語でいうマーケット)というだけあって、毎日どっさ…

Mensa

メンザは「まずい」というのが、アジア人留学生(または一部特定のグルメと言われる国出身の学生)の間での常識であった。でも、安さには勝てない。日中を大学で過ごす学生にとって、メンザのボリュームたっぷりの食事は実に経済的&効率的と言える。知り合…

物価について (主に食事)

ドイツの物価は、全体的には大体日本より('95〜97年当時)20%くらい安価な印象があった(円の変動で明確には表し難い)。中でも、文房具などの日用品含む生活用品、食材、公共の乗り物料金(割引システム含む)は安く感じて嬉しかった。 一方、外食産業は…

Telefon

見知らぬドイツ人との会話もたいしてビビらずこなせる程度に日常会話ができるようになってきても、どうしても慣れる事のできないドイツ的習慣が一つあった。これだけはどうしても乗り越えられなかった。 それはタイトルにある 「Telefon」 。 ドイツ語では・…

超カルチャーショック

ドイツにいる間、特にその初期には「カルチャーショック」というものをほとんど「日常的」に感じていたものだ。 もちろん、時間と共にドイツでの生活が自分の「日常」になってしまうのは必至の事で、それなりに徐々に薄れていく。時間の流れに身を任せて、我…

nach Rothenburg (ローテンブルグ その4)

駅のおじさんは、実はひとつしかないその窓口の向こうから、私達ふたりを四六時中見ていた。 教科書と紙とペンを持ち出して、何やら必死になっている姿を不思議に思っていた事だろうか。とりあえず不審な外国人と怪しむには我々はおぼこすぎたに違いない。何…

nach Rothenburg (ローテンブルグ その3 )

私たち二人は途方に暮れた。 ドイツに着くなり、大変な事になってしまったと思いながら、一方で「これぞ異国の旅の醍醐味!」とばかりに、身の上に起こったハプニングを客観視している自分が確かにいた。ブラウン管の向こう側にでも行ってしまった気分だった…