イタリア旅行 その5

ローマ市内にあるサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂には、ミケランジェロモーセ像がある。・・・という事を、阿刀田高さんの『旧約聖書を知っていますか』で知った。しかも面白いエピソード付きで。


大抵の場合、これは山から降りた時のモーセの姿を作ったものと説明されているそうだ。旧約聖書の『出エジプト記』によれば、イスラエルの民がエジプトから逃れ、奇跡によって紅海を渡った後、指導者モーゼはシナイ山で神の「十戒」を授かった。所がなかなかモーゼが山から降りてこなかったので、ふもとの人々は純金の若い雄牛を鋳造し、神と崇めて大騒ぎしていた。それに対し、神を信じない大衆に怒りと侮蔑を露わにしたモーセの表情、と言う訳だ。確かに頭に角のようなものが2本突き立っている。


この角、実はモーセが怒った証しではないらしく、ミケランジェロの勘違いなんだって。聖書の『神との交わりでモーセの顔は光を放っていた』という『顔が光る』と言う部分が『角』という単語とヘブライ語でよく似ているそうで、間違ったラテン語訳が広がってしまっていたせいだ、と。


こういう人間味溢れるエピソードは大好き。こういうのこそ知識も定着しやすい。さっそうと1人でローマ市内を歩き、目指すこの教会に辿り着き、角の生えたモーセ像を目の前に思わずニヤッとしてしまった私。(知ってるわ〜ワタシ)みたいな、ねww


さて、その後の足取りは忘れた。当時使ったと思われるローマ市内の地図を開くと、自分が歩いたらしい道筋にペンでなぞってある。さすが私。断片的ではあるが、キリスト教カトリックの総本山であるサン・ピエトロ聖堂@Vatican(Basilica di San Pietro in Vaticano)に着いたらひっくり返りそうなくらい驚いた映像と気持ちは今も鮮明。聖堂の横から両側に伸びて半円形を構成する柱廊、その数なんと284本。これ実際に見たら、数ではなくその太さに圧倒されるのだ。その1本の近くに立つと太くて高くて、それだけでずっしりと歴史の重みと自分の儚い存在感を思い知らされて、つぶされそうになる。同時に包み込まれているような安心感にも満たされる。ここに立ったら、異教徒の人でも「ここには神がいる」と感じるのではないだろうか、と思う。


壁面と天井すべてをミケランジェロフレスコ画で埋めつくしたシスティーナ礼拝堂(Cappella Sistina)。じっと見ていると、時空を超えて1人どこか異空間に飛んで行ったような気持ちになる。きっとあそこではごった返す観光客の中で、そんな思いに取りつかれて動けなくなる人が実は多いのかもしれない。一体何の力だったんだろう。これが芸術のもつパワーか?


あまりに広くてどこへ行けばいいのか分からなくなるが、絶対に見落としてはいけない残る目的はミケランジェロピエタ像(Pieta)。この有名なピエタ像の写真、実家の壁にかけてあって昔から見慣れていたので、知らぬ間になじみ深いものになっていた。小さい時から目にするものって大切だな。これはミケランジェロ24歳の時の作品(驚)。我が子キリストを膝にその死を悲しむ聖母マリアの像。このマリア様、キリストの年齢から考えたら若すぎる。まるでカップル。絶対ミケランジェロの希望こもってるんだろうな。今なら、我が子がこんな風に動かなくなってしまったら・・・と想いを重ねて写真を見るだけでも涙が出そうだが、当時の私はまだそこまでの想像はできなかった。目の前の2人はあまりに若くて、とても母子の姿には見えず、ただマリア様がキリストの死を悲しむ、という説明を超える想像には至らなかった。それでも涙が出そうになるくらい悲しげな像だったのだけれど。


大きな大きなサン・ピエトロ大聖堂。時間をかけて再び外に出てみると、やっぱりどこか異空間から帰ってきた感。偉大な場所。神聖な場所。写真や映像では感じることのできない希有な場所のひとつだろうと思う。柱廊でしばらく休んで、考え事をした。何故かお父さんを思い出していたような記憶がある。ノートに何か書いたような覚えも少しある。その時のメモはもうない。


フォロ・ロマーノ(Foro Romano)は入場しなかった。今なら絶対入るのになー。周りを散策しながら眺めただけ。どちらかと言うと宗教色を堪能する旅でもあった。カトリックの根っこに近づきたい気持ちが多かった。(→この後、足を延ばしてアッシジに向かう事になる)それに加えて、実のところ古代ローマ史の勉強は充分していなかった。ただ、教科書で見た覚えのあるようなものがそこここに立っていて、改めて「ほほぉ〜」と感動はしたんだよなぁ。もう一度行きたいなぁw


バルでランチしたり、周囲を真似てジェラートを食べてみたり、それなりにイタリアっぽい事も一通りした。イタリアのジェラートって、今でこそ日本でも近い味になってきたけど、ほんっっっとに濃厚で美味しかった!!なにこれ!ってくらい。生まれて初めての味だった。ピザとアイスで衝撃を受けるなんて、世界はまだまだ広かったな。


あとはウェディングケーキみたいなヴェネツィア広場(Piazza Venezia)も通り過ぎただけ。市内を徒歩で回りきるには予想以上に広くて、少しでも近道使用なんて思って、なーんかヘンな細い裏道みたいな階段みたいな藪みたいな所通ったり、フェンスよじ登ったりしてたら、突然出てきたのがヴェネツィア広場だっけ(笑)「おぉ!写真で見た見た!」みたいな。ただそれだけ。横目に見てスルー。


かの有名なトレヴィの泉(Fontana di Trevi)も漏れなく。あまりに有名過ぎてホントはこういうのあんまりいらないんだけど。この時、誰かユースの日本人と一緒にいたような気がするなあ。どんな流れだっけかな。コインも投げました。本当に再びいつの日かあそこに戻るんか?そんな気はまるでせんが(笑)それにしても、細い路地を歩いていくとこの美しい彫刻とブルーの水が流れる場所が突然、ほんと突然ウワッと開けて現れる感覚。あれは良かったな。今までどこにいたんですかってくらいものすごい人だかりだし。


続くコロッセオ(Colosseo)にトラヤヌス帝フォロ跡・・・。あまりに街に自然に溶け込み過ぎて、2000年以上も前の柱とは信じられない。当たり前のようにそこに佇んでいる。ローマの人達はこんな感じで知らぬ間に過去とつながっているのかな。ピエタの写真を見ていたおかげで本物の大理石のピエタ像を目の前にして懐かしい気持ちになった私のように。


私の訪ローマから15年近く経って、今やローマ旅行も全然珍しくなくなったからあえて要らない情報かもしれませんが、このコロッセオの周辺には観光客向けのおじさん達がいます。執政官の格好とか、古代ローマっぽい衣装着けてるおじさん達。コロッセオに圧倒されたついでにそのおじさん達が目に入ると思わず「うぉっ」と反応しちゃうが当然だ。だって観光客だから(笑)。傍らに馬とかフツーにいるし。でもこのおじさん達、カメラを向けると拒否します。一緒に写真撮影して高値で売りつけるのがお仕事です。ローマのコロッセオに来た記念に、と納得の上ならいいけど・・・・・・高いよ〜。足元見おってからにぃ〜♯(まだリラだったし、いくらか忘れたけど)気をつけて!!


さて。歩き疲れた体を休めて翌日。思いがけない一日が待っていた。